• 公開日: 2016/10/15
  • 更新日: 2018/12/13

20歳で取るつもりが、40歳で。遠回りはしたけれど、今でも目指す道

テーマ:「退職」にまつわるお話

振り回された人生

hurimawasareta

予定から大きく外れ…

高校が衛星看護科で、准看護婦(当時)の資格を取り高看に進学。予定通り20歳で看護師になれるはずだった。
高看1年のGW明け、父親の様子がおかしいと思っていたら末期癌で入院。
母親は付きっきりで、私が家の事や入院中の洗濯物の差し入れなんかしていて、勉強している暇もなく。
年明けに父親は亡くなり、学校からは退学を勧められた(進級・合格率にこだわる学校だったから)。

一人で家計を支えることに

退学して、時間が自由になったので、あちこちの手配(お墓とか)に走り回って、やっと落ち着いた頃。
高校時代に看護しか学んでこなかった自分には、一般的な知識が足りていなくて、この道しかないと感じるけど、改めて進学する余裕はうちには無い。じゃあ働くしかない。
運良く、経験のない准看でも中途採用してくれる病院があり、毎日へこたれそうになりながら頑張っていた。
その病院を選んだ理由の1つに、付属の高看があったからで、進学は諦めていなかった。
実家暮らしで数年働けば、進学費用は貯められると思っていたが、母親が他界して家計を1人で支えることになり、そんな事も考えられなくなっていた。

離島の祖母との同居

弟が就職して、ちょっと余裕が出てきた頃は20代後半で、これからどうしようかと自分の人生を考え直そうと思っていた頃、伯父から打診があった。
離島で一人暮らしの祖母と同居してほしいという。
私は手に職があるからどこでも働けるだろう。祖母のいる島は諸島部で、周辺の島の中では一番大きく、総合病院があり、そこで働きながら、祖母と一緒に暮らせば良い。
たぶん、疲れていたのもあると思います。あまり深く考えずに了承しました。
婦長さんに上記の理由で3月いっぱいで退職したい旨を伝えたところ、他にも退職希望者がおり、新人が育つ夏まで待ってほしいと言われました。
伯父と相談し、有給の消化もあるので、7月まで勤務、8月末退職に決まった。1ヶ月あれば引越も余裕でできる。

様々な出来事を超え、改めて看護師に

退職までカウントダウンに入った4月のある日、伯父から祖母の様子がおかしいと、連絡があった。急に痴呆が進んだ様子だと。
そして7月中頃、病棟で送別会を開いていただいた。
その時、先輩に「あんた自分の人生なんだから、周りに振り回させず、自分の好きに生きなさい」という台詞は今でも忘れない。
そして2週間後、最後の出勤日。
婦長さんの計らいで仲の良いメンバーで組まれた準夜勤の直前、祖母が救急搬送されたと連絡があった。畑で倒れているのを近所の方に発見されたらしい。
最後の勤務が終わった足で駆けつけたが、結局間に合わず、身内だけの葬儀を済ませて、私の身の振り方を改めて考える。
正直、祖母がいたから了承したが、年に一度帰省するだけの離島で、私一人で暮らしていける自信はない。
結局、祖母との同居を理由に退職しましたが、そのまま実家に残る事になり、結果嘘をついて退職した形になりました。当時の同期にも本当の事は話せていません。
余談ですが、その後、クリニックに就職して、今は看護師になる為、通信制で勉強しながら働いています。
20歳で看護師になる予定が、40歳になりそうです。

●執筆●YSK さん

このエッセイは 「ナースエッセイ」 にご応募いただいたものです。
あなたも「想い」を綴ってみませんか? ご参加は こちら から!

関連記事